筋膜とは、筋を覆っている膜で表層や深層に貼り巡っていて中では骨に付着し、外では皮下組織の一番深い部位にあります、皆さんが連想するには、鶏肉を捌いた際に皮の裏で肉の表面に被膜がありますね・・・また肉を裂いた際にも肉の間に被膜があり、一部が骨まで到達しています、これが筋膜です。
ヨーロッパの解剖学所では腱膜と表現したり、古い解剖学所では腱膜と筋膜を区別した事もあります、また腱膜や筋膜や内臓腹膜と間膜などは同じ系統の膜組織で、結合組織に属します。
そのためキチンとした統一した解剖学書の種類により名称が曖昧な所があります、更に昔のオステオパシーは骨や血液細胞以外の全ての結合組織を筋膜や膜と表現した場合もあり・・厄介な所です。
今はやっている筋膜リリースが主張する筋膜は、現在の一般的な筋膜の表現に合っています、筋を囲っている膜の事を筋膜と言っています。
オステオパシーの創始者АTスティルは1874年にオステオパシーを発表し、1897年にアメリカスクールオブオステオパシーを開講し、オステオパシーの創造と発展に尽くされ、1917年に亡くなりました・・・、この間にステイル博士は4冊の本を書きました、その中には膜・筋膜を観察と施術の重要な所と認識していた具体的な文章が所々に見られます。
ATスティルの著書 philosophy of osteopathy・・オステオパシー哲学(日本での翻訳本・・日本オステオパシーメディスン協会・発行)
日本語版の21ページに以下の事が書かれています。
「私は狩猟の場として筋膜に匹敵する身体の部位は他にないと知っている、身体のどの部分より筋膜の研究をつづけるにつれて、より豊かで貴重な考えが心の中に浮かぶと信じている。」
ステイルが膜を操作した際の用語に特別な言葉を使わなかった様です、ウィルバー・コールDOやエスサー・ストームDOは古から伝わる筋膜に対する手技を、1950年代にアメリカのミズーリ州のカンサスシティー医科大学のオステオパシー医学生に伝えた・・、またウイリアム・二ドナーDOも筋膜を操作する手法を筋膜ツイストと呼んで行っていた。
初めに筋膜と人間の自然治癒力に注目し施術の対象としたオステオパシーが、現在の様なオステオパシーの筋膜リリースの方法で直接筋膜を施術した正確な記録が残るものは、1976年に強皮症の患者の前腕の筋膜に用いられた物だと、ロバート・ウォードDOはオステオパシー総覧の下巻958ページで紹介している。
いずれにしても筋膜への・・・軟部組織へのアプローチはオステオパシーでは筋膜リリースの用語が出来る前から存在し、1970年代後半から現在のオステオパシーの筋膜リリースが誕生しだしだ訳です。
オステオパシーの筋膜リリースは、ロルフィングの様に強い圧力や名が施術回数を基本的に必要としないと、フィリップ・グリーンマンDOはマニュアル・メディスンの中で説明しています、オステオパシーの筋膜リリースはとてもソフトで効果的な施術と成っています。